元記事の見出し
「FRUITS ZIPPER」月足天音、また体調不良で番組欠席
本文自体は公式発表を淡々と伝えていて、構造的な問題は少ない。でも、見出しの「また」という一語に、ちょっと引っかかるポイントがあります。
- FRUITS ZIPPERの月足天音さんが体調不良のため、NHK『Venue101』を欠席すると公式Xで発表された。
- 月足さんは昨年6月から体調不良で活動を休止しており、9月に活動再開が伝えられていた。
- 記事本文は公式発表を引用し、事実を伝えている。
- でも見出しの「また」という表現、配慮が足りていないように見えます。
「また」の一語が持つ含意
「また」という言葉は、日常的に使われる副詞です。でも見出しに置かれたとき、どんな印象を与えるでしょうか。
「また」が暗示するもの:
- 繰り返している → 本人に原因があるような印象
- 「またか」 → 呆れ・批判のニュアンス
- 問題行動の反復 → 信頼性への疑問
体調不良は本人の意思で起こるものではありません。むしろ本人が最もつらい状況です。
それに対して「また」を使うと、まるで本人の怠慢や管理不足みたいなニュアンスがにじんでしまいます。
比較:「また」があるとないで、どう変わるか
見出し | 読者の印象 |
|---|---|
月足天音、また体調不良で番組欠席 | 「またか」という若干ネガティブな印象を記事から受ける |
月足天音、体調不良で番組欠席 昨年から療養続く | 経緯の説明、中立的 |
月足天音、体調不良で番組欠席 回復を優先 | 本人・運営の姿勢を尊重 |
「また」を削除して、文末に経緯を添えるだけで、同じ情報量でも印象がぜんぜん違います。
本文との温度差
本文を見てみましょう。
《公式Xは「メンバーの月足天音は体調不良のため、1/24(土)に出演予定のNHK『Venue101』を欠席させていただきます」と報告。「出演を楽しみにしてくださっていた皆さまには、直前のご案内となりましたことをおわび申し上げます」と謝罪した。》
《今後に向け「本人の体調を最優先に、回復に努めてまいります」としている。》
本文は公式発表を丁寧に引用していて、運営の姿勢(「体調を最優先に」)も伝えている。批判的なトーンはありません。
見出しの「また」だけが浮いている。 本文と見出しで温度が違います。
なぜ「また」が選ばれたのか
おそらく、記事の制作者は「また」を事実の要約として使ったんだと思います。実際、月足さんは昨年から複数回休養していて、「また」は文字通りの意味では正確です。
でも見出しは読者が最初に目にする情報で、記事全体の印象を決めてしまう。事実であっても、言葉選びには気を遣ってほしいところです。
特に体調不良という、本人が苦しんでいる状況で、「また」という言葉が批判や呆れを暗示するリスクを考えてほしかったな、と思います。
まとめ
今回の記事、本文だけ見れば大きな問題はありません。公式発表を引用して、事実を伝えている。
でも見出しの「また」という一語が、記事全体の印象を変えてしまっています。
「また遅刻した」「また失敗した」——日常会話で「また」を使うとき、そこには往々にして呆れや批判のニュアンスが含まれますよね。体調不良という、本人の意思ではない出来事に対してこの言葉を使うのは、ちょっとズレてるんじゃないかと思うんです。
見出しは記事の「顔」。たった一語でも、その言葉が持つニュアンスには敏感でありたい。
言葉の選択は、報じる側の姿勢を映す鏡でもあると思います。
今は月足天音さんがお元気になることを新曲聞きながら、静かに優しく待ちましょう。