tuki.さんが3月31日、自身のXに「tuki.(16)は活動を終了します」と投稿した。続けて「4月1日より、tuki.(17)へと業務を引き継ぎます」とオチをつけた。誕生日で年齢が変わることを「活動終了→引き継ぎ」に見立てたジョーク投稿です。昨年も同様の投稿をしています。
投稿は3000万回以上表示され、大きな反響を呼んだ。
これが起きたことの全てです。
見出しの「承認欲求」——高校生の投稿にこのラベルは何を意味するか
見出しを確認します。
tuki.の活動終了発表に賛否 現役高校生シンガーの「承認欲求」と「無邪気さ」
「承認欲求」と「無邪気さ」。この二つを並列に置いた見出しです。
まず「承認欲求」という言葉について。記事内では、音楽関係者のコメントとして以下のように登場します。
「昨年の投稿で騒がれ、今年も同様の内容の投稿を繰り返し、『承認欲求が強すぎる』などと指摘が相次いでいます」
「指摘が相次いでいます」。誰の指摘なのか。記事内にその「指摘」の具体的な引用はありません。
そしてこの「承認欲求」という言葉が、見出しにそのまま使われている。高校生のエイプリルフール投稿に対して、「承認欲求」というラベルを見出しに掲げることの意味を考えてみます。
tuki.さんは、本人が自ら武道館ライブのタイトルに「承認欲求爆発」と名付けているように、この言葉をセルフネタとして使っています。記事もそれに触れています。
ただし、本人がセルフネタとして使うことと、メディアが見出しでラベルとして使うことは意味が違います。本人の自虐は自分自身への言及です。メディアが見出しに使うと、それはその人物を定義するカテゴリーになる。「承認欲求の強い高校生」として読者に提示されることになります。
「賛否」のうち「否」の中身
見出しは「賛否」と書いています。では記事内で、この投稿への反応はどう紹介されているか。
「面白がる声」については具体的な引用がありません。「厳しい声」についても、音楽関係者のコメント内で「承認欲求が強すぎる」という指摘があるとされているだけで、一般ユーザーの批判的な投稿は直接引用されていません。
つまり「賛否」の「否」の実態が、記事内で十分に示されていない。3000万回表示された投稿に対して、批判的な声がどの程度の割合で存在するのかを判断する材料が、読者に与えられていません。
にもかかわらず、見出しは「賛否」と書くことで、「かなりの批判がある」という印象を作っています。
活動と無関係な私的投稿の列挙
記事の後半に、以下の記述があります。
Xでは〝踊ってみた〟動画、セーラー服姿やTシャツ姿、菓子を手にしたハロウィン姿なども投稿。
24年12月の投稿ではクッキーを手作りしたことを明かし、「来年は絶対に彼氏と食べます」と宣言したこともあった。
これらの情報は、今回のエイプリルフール投稿とは何の関係もありません。
「セーラー服姿」「Tシャツ姿」「彼氏と食べます」——これらは高校生が自分のSNSに投稿する内容としてごく普通のものです。ただ、この記事の文脈に置かれると、「承認欲求」のラベルの延長として読まれます。「こういう投稿もしている=注目を集めたがっている」という含意が、構成上生まれてしまう。
特に「セーラー服姿」「Tシャツ姿」という記述は、現役高校生の外見に言及する情報であり、記事のテーマ(エイプリルフール投稿への反応)に対して必要な情報ではありません。
フツーの高校生らしい一面も人気の秘密かもしれない。
この締めの一文は、上記の列挙を好意的にまとめようとしています。でも「フツーの高校生らしい」と書くために、わざわざ服装や恋愛に関する投稿を並べる必要があったのか。結果として、高校生の日常的なSNS投稿を大人が品定めするような構成になっています。
どれだけ有名でも、17歳の高校生です
ここで立ち止まって確認したいことがあります。
tuki.さんは「晩餐歌」で紅白に出場し、武道館でライブを行い、楽曲の総再生数は10億回を超えている。ミュージシャンとしての実績は大人の一線級と同等か、それ以上です。
でも、17歳の高校生です。
有名であることと、大人と同じ扱いを受けるべきであることは、イコールではありません。
この記事は、tuki.さんのエイプリルフール投稿を「承認欲求」でラベリングし、過去の服装や恋愛に関する投稿を列挙しています。仮にこれが30代のアーティストに対する記事であっても構成の問題は残りますが、対象が現役高校生であるという事実は、記事の責任の重さを一段引き上げます。
tuki.さんは本名も素顔も明かさない形で活動しています。匿名性を自ら選んでいる人物の日常的なSNS投稿——「セーラー服姿」「Tシャツ姿」「彼氏と食べます」——を全国配信の記事で並べることが、未成年の人物に対してどういう意味を持つのか。記事はその問いを素通りしています。
「バズりを求めるZ世代そのもの」という音楽関係者のコメントも同様です。個人の行動を世代のステレオタイプに回収することで、17歳の一人の人間としてのtuki.さんが消えてしまう。「Z世代だからこういうもの」という括り方は、本人の意思や文脈を無視した雑な処理です。
メディアが未成年を取り上げるとき、「有名だから」「自分で公開しているから」という理由で、大人と同じ基準で扱っていいのか。この問いに対する答えは、「いいえ」であるべきだとSmokeOutは考えます。
エイプリルフールに年齢が変わることをネタにした投稿は、高校生の遊び心としてそのまま受け取れば済む話です。それを「承認欲求」「炎上」「賛否」でフレーミングし、私的な投稿まで並べて記事にする。そのことの妥当性を、書く側はもっと慎重に考えるべきです。
おわりに
高校生が自分の誕生日をエイプリルフールに絡めてネタにした。ファンが反応した。それだけで十分に記事になる素材です。
この記事は、その素材に「承認欲求」「賛否」「炎上」というフレームを被せ、さらに活動と無関係な服装や恋愛に関する投稿まで並べた。
どれだけ有名であっても、相手は17歳の高校生です。メディアが未成年を扱うとき、「有名だから大人と同じでいい」では済まない。書く側に求められる慎重さの基準は、対象が未成年である時点で上がると考えます。